「んで、どーするつもりだ?」
二月なので北風に吹き晒されるのは非常に寒いが、少女が此処がいい、と言ったのでしぶしぶながら公園のベンチに座っている。
まあ日中なので、薄い雲しかない空から降り注ぐ太陽の光がそれなりに寒さを和らげてくれるが。
「寒いです」
「・・・・・・凍え死ね」
あほを通り越して愚かだ、コイツ。そう認識を改めた。
先ほどの店を追われてから、この少女は公園のベンチに行く事を提案した。
もちろん最初は反対しようとしたが、しかしこういう奴は他人の意見に聞く耳なんて持たないのである。
「寒いから建物の中とかにしないか?」
「却下」
――これが数分前の会話
歩み寄れる余地なんぞ全くなかったのである。
「それで、なんで自殺しようと思ったんだ?」
やっと本題を切り出せた。『自殺』この言葉はあまりにも日常離れしている。少なくとも女子高生が実行しようとするには、余りにも人生を生きていない。
――――訂正
雰囲気からして虐めを受けていない女子高生が、自殺するような大層な理由を持ち合わせているとは、一季にはとても思えなかった。
だから、この話が切り出せた。
本当に深刻な話だったら、面識のない一季には知人よりも話し易いだろう。それが深刻な話でなかったら尚更だ。
どちらにせよこの少女は話さずに入られない。
この少女の自殺に至るまでのプロセスがなぜ軽薄か。そこに一季は興味を持った、いや、持っている。
良く言えば知的好奇心、悪く言えば野次馬根性である。
「どーしても、話さなくちゃいけませんか」
なんであんたなんかに話さなくちゃならないのよ! と目が物語っていたがそこは自身が鈍感だという事にしておく。華麗にスルー。
「なんで自殺しようと思ったんだ?」
小物である一季だが、好奇心は旺盛。
少々の膠着時間を経て、先に折れたのは少女のほうだった。
このままの状態を続けたとしても、ただの時間の浪費だと思ったのだろう。相手は平日の正午前後に町を徘徊している人間。暇でないはずがない。そして自身は高校生。明らかに後者のほうが時間的拘束は厳しい。そして相手は諦めそうな気配がない。
そういう理由で、少女は抵抗を諦めて白旗を振った。
「あー、何ででしょうねー」
少女は頭を上げて、空を見る。
一季もそれともなしにそれに習う。
「なんかー、嫌じゃないですか? この世界」
「・・・・・・・・・・・・は?」
ぐぅの音も出ないとはこのことか。いやなにか違う。この言葉を使うのは手も足も出ない時だ。
「思ったことあるでしょ、おにーさんも。自分は自由で、何でも出来る。だから自分のやりたい事をいろいろ考えて――それが将来の夢になる」
一季は少女の独白を、冬特有の雲が浮かんでいる空をぼんやりと眺めながら、黙って聞いていた。
「でも実際、そんな事もないんですよねー。毎朝起きたら学校に行って、学校で弁当食べて、んで夜は友達と遊んで家に帰る。この繰り返しなんですよ、結局のところ。毎日、毎日、同じ事の繰り返し。退屈ですよね。でも私達はこの現状を打破する力を持たない」
「そこは訂正が入る。力を持たないんじゃなくて、力を行使しようとしないんだ」
「ははは、一本取られましたね。おにーさん、意外と高学歴じゃ?」
「意外とは失礼だな。そっちこそ、進学校じゃないのか」
「ええ、そうですよ。○×△▽高校ですー」
・・・・・・超有名校だった。
「で、大学もほとんど決まっているようなもので、レールが敷かれた人生っていうのが嫌だと?」
あえてそこのところを突っ込まず、話を本筋に戻す。
「レールが敷かれた人生は嫌ではないですよ。楽ですし。でもそーじゃないんです。前にも後ろにも進めない、そんな状態なんですよ。閉塞感っていうのかな、そんなものを感じているわけです。この麗らかな(うららかな)わたくしめは」
・・・・・・自分で言ったらせわないよなぁ、と反射的に思ってしまう辺り、一季は常識人である。苦笑いは隠せなかったが。
「・・・・・・ん?」
なにやら視線を感じる。
視線を投げかけられるような事をした覚えは、一季にはないのだがこれはどうした事だろうか。
「ああ、そうか」
「どーしたんですか」
この少女か。普通の高校なら、もう下校時間である。少女の通う高校に、今いる公園は近くはないのだが、そう遠くもない。だからだろう、たまたまここを通り過ぎる同級生に見られたからといって不思議はない。
視線が感じるほうへ目を向けると、きの幹の影に隠れている女子高生を一人見つけた。
助かった事といえば、複数個視線がなかった事だろうか。
この出来事が原因で、この少女が同級生に変に勘ぐられることはないだろう。この年頃は異性と見るや、色恋沙汰に結び付けたがる。・・・・・・もちろん他の年代と比べたら、という意味だが。
「それじゃあな。まあどうでもいいけど、生きとけよ。月並みだが、生きとけば良い事あるし」
そう言って、一季はベンチから立ち上がる。
寒空の下、長々と話していたから体の芯まで冷え切っている。
「他人はどうでもいいけど、身近な奴にだけは心配かけんなよ」
さっきから視線を投げかけてくる女子高生とかな――
この言葉は胸の内にしまっておく事にする。この少女にも、あの女子高生にも迷惑な事だろうから。
「おにーさん、名前は?」
最後に声が聞こえるか聞こえないかのぐらいの音量で、一季の背に投げかけた。
多分少女の質問を無視しても、少女がもう一度問い掛けてくる事はないだろう。しかし、なぜか――なぜかそれを無視して颯爽とここを去る事は出来なかった。
後ろ髪を引かれる思い、とはこのことなのか。
「鏑木 一季(かぶらぎ いっき)。それじゃあな、女子高生」
振り向かずにそれだけ応えて歩き出す。
さきほど視線を投げかけてきた人のすぐ側を通る。
通り過ぎるときに、視線だけ一瞬そちらによこす。
外見や服装に(とは言っても制服だったが)内面が表れる、ということを信じるとするとこの少女は物静かで引っ込み思案といった所だろうか。
このあと一季が公園から立ち去ったのを確認してから、先ほど話していた少女に話し掛けるんだろうなと、そう頭に思い浮かんだ。
そして一季が去った後、遠くから視線を投げかけていた少女は、さきほど一季と話していた少女の下へと駆け寄る。
「し、雫ちゃん。さっきの人誰!?」
慌てた様子で雫と呼ばれた少女に詰め掛ける。確かに、学校をサボってまで、この二月の寒空の下で会う必要のある人など、この慌てている少女でなくても思いつかないだろう。
「わっ、由紀・・・・・・どうしたの?」
雫は由紀という少女が慌てているところを見ても、特別に取り乱したりはしない。この様な状況に慣れているからであろうか。
「さっきの人。誰?」
もう一度、由紀は同じ質問を繰り返す。
「質問に答えてないけど、まあいいや。さっきの人って・・・・・・あれ、由紀ちゃん。見てたの?」
首を縦に振って、肯定の意を表す。盗み見していた事に一片の罪悪感を抱くことなく。
雫は由紀のそういう所を好いていた。いや、雫にしても決して盗み見されるのは快いものではない。しかし由紀の場合は、盗み見されたという以上にこちらを気遣って心配してくれている事が行動からすぐに分かる。
だから、不快というよりは嬉しい。
それが今、雫が思ったことだった。
「んーん、大丈夫。良い人だったよ」
先ほどまで話していた人物との行動を思い出す。
@飛び降りたところを助けてもらう
A昼御飯をファーストフードでおごってもらう
B公園で缶コーヒーをおごってもらう
C愚痴を聞いてもらう
・・・・・・・・・・・・一季に多大な迷惑をかけたのを、雫が理解したのはこのときだった。
次に出会ったら例の一つでも言っておこう、と雫は思った。
「そう?なんとなく怖そうに見えたけど・・・・・・」
確かに外見は怖い。無愛想なのだろう、と雫は一季にそんな印象を抱いていた。
外見によって人は判断されるといっても過言ではない。そういう意味では一季は外見で損をするタイプだろう。
「ところで雫ちゃん・・・・・・・・・さぼったでしょ」
由紀は腰に手を当てて雫を睨む。
しかしこの様な状況には雫は慣れているのだろう。肩をすくめただけで、由紀の視線をかわす。
「だってさ退屈じゃん、ガッコ。居眠りしてたら頭を叩いて起こすし、かといって本読んでたら本を没収するし」
やれやれといった感じで由紀が応える。
「あたりまえでしょ。学校は勉強するところなの。・・・・・・何度言っても聞かないんだから、もお」
由紀は溜息を吐く。
その溜息は白い吐息となって空気中に拡散される。
すると先ほどまでの『自殺したい』という願望は吐息のようにどこかへ消え去ってしまった。
一季との会話がきっかけだったのか、それとも自殺未遂をする事で気が済んでしまったのか。ともかく先ほどまでの圧迫感や切迫感は全くといっていいほどなかった。まるで今、この全く曇りない青空のように。
もしかすると空にまで舞い上がったのかもしれない、そう年甲斐もなく雫は思ってしまった。
そう考えると、笑いが込み上げてくる。この何年間か感じた事のない開放感。もしかすると人生初なのかもしれない。それほど清々しい気持ちだった。
「ど、どうしたの? 急に笑い出して」
雫の周りでオロオロとする由紀を見ると、余計に笑いが止まらなくなった。
――――こう言っては由紀に悪いが、心配する事なんて何もないのに狼狽する由紀の様子が面白かったからだ。
「あはははは、いや、ね」
「だ、大丈夫?」
「ごめんごめん。ジョブジョブ、大丈夫。ちょっと、ね」
にっこりと笑顔を作る。それだけで由紀が安心するなら安いものだ。
由紀は正直者で、だから喜怒哀楽が表情に出る。いまどきの子にしては珍しいものだ、と最初に会ったときは思った。もし彼女がこんな性格をしていなかったら、雫と由紀は友達同士にはなれなかっただろう。
それほど違う二人。方や授業を平気でサボる、自由奔放な女子高生。方や規律に煩い、正直者の女子高生。水と油のような関係だ。しかし正反対な関係であればこそ、この二人は友人としての関係を形成する事が出来た。
それは両者にとって非常に尊いものだろう。
――――だから雫が授業をサボっても、由紀がその事に文句を言っても、両者共に喧嘩なんてしない。それは両者にとっては当然のことで、それはあって当然の出来事だからだ。
授業サボったらだめでしょー、という由紀の説教を聞き流しながら雫と由紀は帰路につく。馬の耳に念仏とはこのことだなー、と雫は思っていた。
雫と由紀の家は近い。歩いて5分。自転車を利用すると2分。しかしお互いに知り合ったのは高校になってから。
実は歩いて5分の距離の間に市の境界線がある。市が違うと通う小学校は違う。また雫は中学で今の学園に、由紀は高校から今の学園に通っている。そのため今まで知り合う機会は皆無だった。
しかしなんの運命の悪戯か、両者が高校一年生のときに図書委員になった。
もちろん雫の性格からして図書委員の仕事をサボるに決まっている。しかし由紀の性格からするとサボるという行為自体がありえないことである。ゆえに図書委員の仕事をしたがらない雫と、それを強制的にさせようとする由紀とのバトルが始まる。
図書委員の仕事は二人一組で行う事になっている。だからだれも雫とペアになろうとは思わない。
当然、事情を知っている、または事情を察した人たちは積極的に他の人たちとペアを組む。しかし由紀はこう思った。
――――ペアを組む人がいないなんて、可哀想じゃない。
優しい心の持ち主である由紀はこんな幻想を抱いていた。もちろんこの幻想は一瞬にして打ち砕かれる事となるのだが。
しかして雫と由紀は図書委員のペアとなった。
そしてバトルが始まる。
そのバトルは壮絶を極めた。
これが中途半端な争いだったら、誰かが仲裁に入る事で決着がついていたのかもしれない。しかしもはや誰の目から見てもこれは第三者が介入できる状態ではなかった。
正に誇りと誇りのぶつかり合いだった。
戦場には草の根一つ残らず、勝者でさえ満身創痍であった。
そしてこの勝者は――――――由紀であった。
そんな事もあってか、両者の絆は固く結ばれている。
喧嘩するほど仲が良い、という言葉は確かに的を射ている。そんな印象を同級生達に植え付けた二人であった。
以上のように、両者の関係は他の人たちとは一味違う関係である。
Y字路。二人が一緒に帰るときに、別れる場所である。
「じゃあね。明日こそ学校に出席しなさいよー」
「あはは、期待しないで待ってて」
「雫が言うと冗談にならないわよ・・・・・・」
そんな愚痴を残して由紀はY字路を左に進む。一方の雫の帰路はY字路を右に進むほうだ。
「じゃーね!」
雫は手を振りながら、少々声を張って言う。
「さてと、私も帰りますか・・・・・・」
雫はY字路を右に進む。
「眩しっ」
Y字路を右に進むと、真正面やや上には夕焼けが空に鎮座している。
雲ひとつない、朱い空。
雫は空を見て昼に話していた人物を思い出していた。
「鏑木 一季か・・・・・・」
もちろん、彼女が一季に感謝の念を多少なりとも抱いていたとしても、彼女の退屈しのぎの前には霞んでしまう。
「あはは、楽しめそう」
彼女に関わる事によって、鏑木 一季の生活が乱されることは不可避だった。
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