世の中には、幸か不幸か何かのトラブルに巻き込まれやすい人というのが存在する。勿論その人はトラブルを引き起こしているのではない――どちらかと言うと後先を考えない結果から来ているものがほとんどである。
 つまりは、何事もリスクを考え、結果を予測し、過程を推測し行動すればたいていの出来事――ココでは厄介事だが――は避ける事は可能である。
 しかし、何事も不可抗力というものは存在するのである。
 例えば、偶々入った食事所で食中毒に当たってしまったり、偶々乗らなければならない路線が人身事故で運転を見合わせていたり、偶々入ったコンビニでは万引き犯に間違えられたり。
 明らかに、原因が自分にあるとは考えられない。在るとするならば、そこに自分が居る事である。
まあ、しかしそれは直接的な原因ではない事は明らかであり、不確定要素の一つにしか過ぎないだろう。
 だから自分自身に責は無い。むしろそれを引き起こした犯人――つまりは原因となったメインファクターなのであるが――そいつの責任である事をまず断っておかなければならない。
 
 全くの赤の他人の過程なんぞ知ったものではないのである。
 だから結果を予測する事も不可能だし、ましてその結果生じる自らの身に降りかかる火の粉を振り払うなんぞ野性的第六感がなけりゃ無理なのである。
 因みに生まれてから二十年、都会でしか暮らした事が無い都会っ子の代表格のような僕には、野性的第六感なんぞ破片も在りもしないのである。
 
 しかし厄介事を避ける、危機回避能力だけは一級品である。皮肉な事だが。
 だがこの危機回避能力というものは、物事の過程を見た後に結果を出来るだけ早く予測し、悪い事態を回復、あわよくば好転させようとする能力であり、突然の出来事には全く無意味な能力である。
 だから、何故こんな事になったのか、どうしたら回避できたのか、という答えは一つしか残っていなかった。
 前者の答えは『意味不明』であり、後者の答えは『ココに自分が存在しなかったら』である。
 
 ・・・・・・まあ、端的に言おう。これは不可避な、突然の、全く訳の分からない、厄介事であるという事だ。
 どこぞやのソーシャルネット・サービスに於いて、高校の友人からの紹介文には『中庸・堅実』という言葉が入っていたのに、明らかに今の僕の現状は異常である。
 もしこんな事が日常茶飯事だったなら、友人の紹介文には『トラブルメーカー・お花畑』とかいう言葉が入っている事だろう。
 つまりはそれだけ異常な事態に巻き込まれているってことだ。サイアク。





「はぁ」
 二月の寒空の下、深いため息を吐く。
 ため息とは如何し様もならないときに吐く物であり、現状を嘆きながらもその状況を受け入れつつある証明でもある。
 ため息を吐くと幸せが逃げていく、というのは最早謳い文句であるが僕自身としてはため息を結構気に入っている。
 諦めるという事は時に最大の武器となり、時に最大の弱点となる。ゆうなれば、最強の諸刃の剣。時に無駄を最小限に抑える事が出来、時に退廃を促す事となる。それは最低のことであり、同時に最上のものでもある。
 しかし、今このため息は諦めを含んでいるものである、遺憾な事だが。

「・・・・・・? 何ため息吐いてるの」
 どこぞやのファーストフード店のテーブル席で対面している女子。名称不明。背丈は平均的で、体型も普通。腰まである髪は長いと言えるが、癖毛の無いストレートはそれを美しく思わせる髪で脱色なんぞしていない。まあ、ぶっちゃけ言うと髪の長いただの女子だ。
 その女子が、何の因縁なのか、全く素性も名前さえも知らないのに、こうやって対面して少々早い昼食を取っている。
「そりゃあ、ため息の一つでも吐きたくなるわ。んな面倒事、関わり無く一生を終えたかったよ」
 ままならない。自分の思うとおりに人生進まないものである。
「しょーがないじゃないですか。大体、あんな所に居るあんたが悪いんだ! ・・・・・・うん、そう。あんたが悪いんだ!」
 頬にご飯粒をつけながら言われても、ただフラストレーションがたまるだけだ。
「だってさぁ、下に人が偶然通っているとは思わないじゃない! だからっ、私は悪くないのっ!」
 箸を持っている手をぶんぶんと振り回しながら熱弁する。
「ヤメロ。箸を持っている手を振り回すな」
 微妙に頭が痛い。最近の若者にはマナーなんて物は存在しないのか。
「大体だ、上を見ながら歩いている奴なんぞいやしねえだろ。ああん? それとも何だ、スカートの中を見て欲しかったのか?」
 少し凄みを効かした声で話す。第一印象――怖い――だと言われたことは人生に於いて最高にして最悪の屈辱だったが、ここではその怖さを利用しようと考えた、かなり不本意ながら。
「は、はいぃぃぃ? 何言ってんですか。赤の他人に、スカートの中覗かれたい女の子なんてこの世の中に存在しないに決まってるでしょ、馬鹿ですか、変態ですか?」
「・・・・・・はは、散々な言われ様だな」
 一瞬殺意が沸いた。よかった、野郎だったら沈めている所だった。
「大体、とっさに受け止めればよかったけど、もしかして全く気づかずにあのまま落ちてきたら僕も君も今よりは悲惨な目に会っていたはずだが・・・・・・それでも僕が射なかったほうが良いって言うのかい?」
 諭すように言ってみる。感情で物事を話す人には、理論を以って迎え撃つ。理論を以って話す人は、感情論で退ける。敢えて異なる論法――この場合は最早異なる次元だといったほうが正しいのかもしれないが――それで説き伏せる。
 これで同年代との討論、口論は百戦百勝。百戦無敗。僕無敵。
 
 ただ彼女は変わっていた。変人といっても差し支えない。いや、変人よりももっとかけ離れた存在だった。むしろこの最初の出会いはありえないものだったに違いない。
 神様がサイコロを振るより、交通事故に遭うより、鉄筋が上から降ってくるよりも可能性が低い事であり、いや、可能性が低い所じゃない。
 可能性として在り得なかったのだ。それほど彼女と僕とはかけ離れていて、違っていた。
 
 類は友を呼ぶ。つまり、同じ水準なり世界なりの人々と人生を共にする。それは何故なのか? 
 ――――理由は明白だ。
 接点が、または接点を持つ可能性が限りなく多い。同じ価値観、趣味、興味などを持っていると最終的に収束するところは必然的に決まる。
 そこには同じ目的を持った同士が集まっており、自分達の世界が価値が当然であるかのように横たわっている。そして、そこに他者との塀は限りなく低く脆弱である。
 ただ越えようとする、つまりは話し掛ける勇気さえあれば他者の領域(テリトリー)の中に進入できるのだ。そしてそのテリトリーは一部では在るがとても自分のものと似ていて、故にとても居心地がいいものだ。
 結局は、だ。同類との関係は受け入れやすく、受け入れられやすく、堕落しやすいという事だ。
 そう、ただそれだけの事。
 だから彼女と僕は本来会うはずも無いのだ。
 価値観なんぞ全く違うし、思考回路も違う。正確も全く正反対だ。
 ただ、それでも邂逅したのは――両者共に、どうしようもなく、決定的に、絶望的に、確信的にまで、世界というものを嫌っていたという事だ。
 
 だから彼女は僕の質問にあっけらかんと答えた。
「うん――――だって生きていても楽しい事なんて無い」
 まったく目を逸らすことなく、まっすぐにこっちを向いて、自分は何も間違っていないのだという、ある人から見れば不遜な態度であり、僕にとって見るとそれは何処までも羨ましくそして憎らしいものだった。
「んあ? 生きている事事態が楽しい事なんじゃないのか」
 まったく不思議だという顔を作って体裁を取り繕う。ここで『じゃあ死ね!』とか『うるせえ、だまれ!』とか言い切れるほど僕は大物じゃない。寧ろ、典型的な小物。目立つ事を嫌い、細々と生きている。
「はっ、何言ってんですか? あんた、私より長く生きているのにわからないの?この世界の無意味さとか、混沌さとか、柵(しがらみ)とか。煩わしくってしょうがない―――」
「おい」
 話をぶつ切りにする形で声をあげる。
 ちょっと熱中していたのか、こちらが鋭い声をあげると、少々では在るが恐る恐るこっちを伺った。
「外出るぞ、長居しすぎた。店員に睨まれてる」
 僕は目線だけでこちらを睨んでいる店員を指した。
 そうしてその彼女が目を向けた先には、怒りのオーラを出していながらにこやかな笑顔をこちら側に振り撒いている店員が居た。
「・・・・・・不気味を通り越して怖いですね」
 僕もその意見にはしっかりと頷いた。






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